朝日に刺激されて悠人は重い瞼を上げた。不思議と頭はすっきりとしていた。お陰ですぐに異変に気がついた。リビングで眠っていたはずが、悠人が目覚めたのは見知らぬ部屋だった。二つの箪笥とベッドしかない殺風景な部屋。訝しみながら悠人は部屋の扉をゆっくりと開けた。廊下は見知った景色だった。西城の家である。いつベッドに横たわったのか、などと記憶を辿りながら悠人はリビングの扉を開けた。そこに西城姉妹の姿は無かったが、代わりに男が一人、縁側に座っていた。
「シンさん、おはようございます」
悠人はぺこりとお辞儀した。男の名前は西城シン。美雪の夫である。
「おはよう。良く眠れたか?」
二十代の若い容貌からは想像できない低音のハスキーボイスが優しく響いた。
「お陰さまで。でも、昨日はリビングで寝てしまった気がするのですが」
悠人は昨夜について尋ねた。
「ああ。俺が帰って来た時はここで寝ていたな」
シンはテレビの前の空間を指差した。
「四人を運ぶのは大変だったぞ」
悠人は無言で俯いた。
「腹でも空いているか?」
シンが尋ねた。
「眠れた割には顔色が悪いぞ」
「ええ、空いているには空いているのですが……」
悠人は曖昧に答えた。
「冷蔵庫に菓子パンと牛乳があるから好きなだけ食べな」
「あ、はい。頂きます」
悠人は冷蔵庫からビニール袋に包まれた餡パン二つと小さな牛乳パックを取り出した。
「あの、シンさん」
悠人は恐る恐る口を開いた。
「俺が寝ていたあの部屋ってもしかして……」
「俺のだ」
シンはさらりと答えた。
「安心しろ。俺はあれを使っていない。新品とだ」
「じゃあシンさんはどこで寝ているんですか?」
悠人は親子で川の字で眠る様子を想像した。
「おかしな想像するなよ。自分の部屋に決まっている。俺は敷き布団を使っているんだよ」
「そうですか」
悠人は肩を落とした。シンは立ち上がり、台所へ向かった。冷蔵庫から麦茶の入ったポットを取り出し、透明なグラスへ注いだ。
「そういえば」
シンはポットを冷蔵庫へ戻した。
「お前の顔色が悪いのは空腹以外に理由はあるのか?」
二つ目の餡パンにかぶりついた悠人は思い出した。
「その……昨日、バイトから帰る途中で無茶苦茶な奴に会ったんです」
シンは微笑みながら悠人の言葉を聞いた。
「猪突猛進というか、こっちの話を一切聞かなくて。それでいてかなり理不尽で」
「お前と似ているな」
シンは口を挟んだ。
「特に猪突猛進って所が」
「勘弁して下さいよ。これでも丸くなったつもりなんですから」
悠人の必死さにシンは笑った。悠人は少し前まで喧嘩ばかりする不良少年だった。
「それで、そいつがどうしたんだ?」
シンは話を続けるように促した。
「そいつが俺のバイト先に興味があるっていうんです俺のバイト先って、シンさんの勤め先の系列でしょう。それにシンさんって偉いんですよね。だから……」
「働かせてやれと?」
シンは悠人の言葉を先に口にした。
「さあ。そこまでは」
悠人は頭を掻いた。
「でも見学したそうな感じで……」
シンは溜め息を吐いて少し考え込んだ。
「解った。俺から話をしておく」
シンの言葉は意外だった。
「良いのですか? そんな簡単に?」
「どうした? お前から頼んでおいて」
シンは悠人の態度を訝しんだ。
「断って欲しかったのか?」
「いえ、そういう訳じゃ……」
悠人は慌てて首を振った。シンは台所で空のグラスを洗った。
「お前にも後輩ができるな。性別はどっちだ?」
「女です。同い年なので後輩と言っていいのかどうか」
台所から戻ってきたシンの顔は微笑んでいた。
「春だな」
シンの言葉を聞いて悠人は咳き込んだ。
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